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『黄泉のツガイ』考察まとめ|『ハガレン』との共通点とパクリ説を検証

ユルとアサを中心に左右様と解・封の気配が広がり、鋼を思わせる幾何学模様とは別の世界観として対比される幻想的な場面 あらすじ・考察

『黄泉のツガイ』は『鋼の錬金術師』と似た作家性を持ちますが、物語の骨格や能力体系は明確に異なり、パクリと断定できる根拠はありません。

むしろ両作を具体的に比べると、「家族」「大きな力」「組織の陰謀」という共通項を使いながら、荒川弘先生が異なる問いを描いていることが分かります。

※本記事では『黄泉のツガイ』原作コミックスの内容、およびTVアニメで今後描かれる可能性のある展開に触れます。アニメだけで物語を追っている方は、ネタバレにご注意ください。

本記事では、2026年8月30日時点のスクウェア・エニックス「月刊少年ガンガン」作品紹介・コミックス書籍情報、TVアニメ『黄泉のツガイ』公式サイト、『鋼の錬金術師』公式作品紹介を基準に事実関係を確認しています。

現在、『黄泉のツガイ』はコミックス第13巻まで刊行されており、第13巻は2026年7月10日に発売されました。TVアニメは2026年4月4日に放送を開始し、公式サイトでは連続2クールで放送中、シリーズ累計750万部突破と案内されています。TVアニメ「黄泉のツガイ」公式サイト+2スクウェア・エニックス マガジン+2

『黄泉のツガイ』はハガレンのパクリ?まず結論を整理

結論から申し上げると、現在確認できる設定・登場人物の目的・能力体系・世界観を比較する限り、『黄泉のツガイ』を『鋼の錬金術師』のパクリと判断する材料はありません。

一方、「まったく似ていない」と言い切るのも実際の作品から離れています。

両作品には確かに、荒川弘先生の作品だと感じさせる共通点があります。

たとえば、次のような要素です。

  • 家族の問題が物語を動かす出発点になっている
  • 若い主人公が巨大な力や秘密に巻き込まれる
  • 個人的な目的から、組織や歴史の問題へ物語が拡大する
  • 戦闘だけでなく、敵味方それぞれの事情が描かれる
  • 「力を持つこと」より「力をどう扱うか」が重視される

『鋼の錬金術師』では、兄エドワードと弟アルフォンスが亡き母を蘇らせようとして人体錬成を行い、その代償として身体を失います。その後、二人は元の身体を取り戻すために旅へ出ます。これはスクウェア・エニックスの公式作品紹介にも明記されています。オリジナルマガジン+1

一方、『黄泉のツガイ』の主人公ユルは、山奥の集落で暮らす少年です。

双子の妹アサは村の牢で「おつとめ」をしていると教えられていましたが、平穏だった生活は襲撃によって崩壊します。ユルはやがて、自分とアサが「夜と昼を別つ双子」と呼ばれる特別な存在であり、「解」と「封」を巡って複数の人間から狙われていることを知っていきます。スクウェア・エニックス マガジン+1

つまり、家族を中心に物語が始まる点は似ています。

しかし、物語を始めた原因がまったく違うのです。

『ハガレン』では、主人公たち自身が過去に選んだ行動が発端です。

『黄泉のツガイ』では、ユルとアサが生まれる以前から存在していた伝承や共同体の事情によって、本人たちが望んでいない役割を背負わされています。

私は、この「原因がどちらを向いているか」が両作を比較するときの重要な基準だと考えています。

『鋼の錬金術師』は、自分たちの過去へ遡りながら過ちの結果と向き合う物語。

『黄泉のツガイ』は、自分たちより前の世代が作った仕組みを知り、その中で自分の生き方を選び直していく物語です。

表面には似た要素がありますが、物語を進める矢印はかなり異なっています。


なぜ『黄泉のツガイ』はハガレンに似ていると言われやすい?

では、なぜ「黄泉のツガイ ハガレン パクリ」といった形で両作品を比較したくなるのでしょうか。

ここでは、似て見える理由を具体的に整理します。

1.家族から物語が始まる

最も分かりやすい共通点は、主人公の動機が家族と強く結びついていることです。

『鋼の錬金術師』では、エドとアルが母を取り戻そうとした人体錬成がすべての始まりでした。

『黄泉のツガイ』でも、ユルの行動を大きく動かしているのは妹アサと両親です。

TVアニメ公式の第3話あらすじでは、ユルがそれまで妹だと思っていたアサが偽者であり、東村を襲った眼帯の女性こそ実の妹アサだと知らされます。さらに第6話では、再会したアサから、両親が沖縄へ向かう飛行機の中で消息を絶ったことを聞かされます。TVアニメ「黄泉のツガイ」公式サイト+1

個人的な家族の問題を追っていたはずが、徐々に大きな世界の秘密へ接続していく。

この広げ方には、確かに荒川作品らしい手触りがあります。

2.主人公の背後に巨大な仕組みがある

『鋼の錬金術師』は、序盤こそエドとアルが身体を取り戻す旅として進みますが、やがて賢者の石やホムンクルス、国家そのものに関係する巨大な秘密へたどり着きます。

『黄泉のツガイ』も同様に、最初は東村と家族にまつわる謎から始まります。

しかしユルとアサの特殊性が明らかになるにつれ、影森家をはじめ複数の立場を持つ人間たちが登場し、「解」と「封」を誰がどのように扱うのかという問題へ発展していきます。

コミックス第2巻の公式紹介でも、左右様を従えるツガイ使いとなったユルがアサを捜し、その一味である影森家と衝突する流れが説明されています。スクウェア・エニックス マガジン

「主人公が知らなかった世界の構造を、読者も主人公と一緒に知っていく」という構成が共通しているため、読後感が似ていると感じる方はいるでしょう。

3.能力バトルだけで物語が進まない

両作品には、明確なバトル要素があります。

しかし「強い敵が現れたので、もっと強い技で倒す」という一直線の構造ではありません。

敵だと思っていた人物にも別の事情があり、所属する組織がそのまま善悪を決めるわけでもない。

『黄泉のツガイ』では、アサ側にいる影森家とユルが早い段階で単純な敵対関係から外れていきます。

TVアニメ第6話では新たな襲撃者を前に、ユルと影森家が共闘する状況が描かれています。TVアニメ「黄泉のツガイ」公式サイト

ここにも、人物を「敵」「味方」の二色だけで塗り分けない荒川作品らしさがあります。

4.力には必ず人間の選択が付いてくる

『鋼の錬金術師』では、錬金術という力自体よりも、それを何のために使うかが繰り返し問われます。

『黄泉のツガイ』も、ツガイが存在すること自体を善悪で判断していません。

ユルが主となった左右様についても、単なる武器ではなく、主とツガイの関係性が描かれています。TVアニメ公式では左右様が東村の対の石像であり、ユルのツガイになる存在として紹介されています。TVアニメ「黄泉のツガイ」公式サイト

私は、この「力の設定を、その人間の倫理観を映す鏡として使う」部分こそ、二作品でもっとも近いところだと感じています。

設定のコピーというより、作者が長年描いてきた価値観の継続と見るほうが自然でしょう。

5.公式側も『鋼の錬金術師』とのつながりを強く打ち出している

もう一つ見逃せないのが、作品外の理由です。

『黄泉のツガイ』第1巻のスクウェア・エニックス公式書籍ページは、発売時から「『鋼の錬金術師』の荒川弘最新作」と紹介しています。スクウェア・エニックス マガジン

さらにTVアニメ公式サイトも「『鋼の錬金術師』荒川弘が描く」と前面に掲げ、スクウェア・エニックス、アニプレックス、ボンズの組み合わせを「再び!」と宣伝しています。TVアニメ「黄泉のツガイ」公式サイト

つまり、視聴者が『ハガレン』を思い出すこと自体は不思議ではありません。

むしろ宣伝の段階から代表作との連続性が強く示されているため、初見の視聴者ほど「ハガレンとどこが似ているのか」と確認したくなります。

「似ていると感じること」と「パクリであること」は、分けて考える必要がある。

ここが今回の問題を整理するうえで大切な点です。

※画像はAIによるイメージ

『黄泉のツガイ』とハガレンの決定的な違いは?

共通点だけを見ると似ていますが、物語の主要項目を並べると違いは明確になります。

比較点 『黄泉のツガイ』 『鋼の錬金術師』
作者 荒川弘 荒川弘
主人公側の家族関係 双子の兄ユルと妹アサ 兄エドワードと弟アルフォンス
物語開始時の問題 生まれや村の秘密によって特別な役割を背負わされる 自ら行った人体錬成の失敗で身体を失う
主な能力体系 ツガイ、「解」「封」 錬金術
主人公の初期目的 アサとの再会、両親や出生を巡る真実を知る 失った身体を取り戻す
物語を広げるもの 東村・影森家など複数勢力と双子を巡る因縁 賢者の石・ホムンクルス・国家の秘密
主人公が向き合う問題 他者に決められた役割をどう扱うか 自らの行為と代償にどう向き合うか

こうして比較すると、主人公が置かれている立場はかなり違います。

『鋼の錬金術師』のエドとアルは、自ら禁忌へ踏み込みました。

もちろん、母にもう一度会いたいという子どもらしい切実な願いからの行動です。

それでも物語上、「自分たちが行ったこと」が旅の原因である点は変わりません。

これに対し、ユルとアサは「夜と昼を別つ双子」に生まれたこと自体を選んでいません。

アニメ公式のキャラクター紹介では、アサはその双子の片割れで「解」の力を持ち、ユルは同じく双子の片割れで左右様の主になる人物だと明記されています。TVアニメ「黄泉のツガイ」公式サイト+1

さらにTVアニメ第8話の公式あらすじでは、アサが「解」を得た経緯を知ったユル自身も、「一度死ぬと『封』の力を得る」という事実に直面します。TVアニメ「黄泉のツガイ」公式サイト

本人の意思より先に、「あなたはこういう存在だ」と世界から役割を与えられているわけです。

この差は非常に大きいと思います。

『ハガレン』で問われるのは、ある意味では「自分が開けてしまった扉をどう閉じるのか」です。

対して『黄泉のツガイ』で問われているのは、「自分が開けた覚えのない扉の前に立たされたとき、その先へ進むかどうかを誰が決めるのか」ではないでしょうか。

同じ「家族」「力」「代償」を扱っていても、主人公と問題との距離が違います。

これを設定の流用と呼ぶには、物語の核心が離れすぎています。


「解」と「封」は錬金術に似ている?能力体系からパクリ説を検証

『黄泉のツガイ』が『ハガレン』と別作品であることを最も分かりやすく示しているのが、能力体系です。

『鋼の錬金術師』の中心にあるのは錬金術です。

物質を理解し、分解し、再構築する技術として描かれ、人体錬成や賢者の石なども、その世界の錬金術という大きな仕組みの中で位置づけられます。

一方、『黄泉のツガイ』には、人間の主と関係を結ぶ異形の存在「ツガイ」がいます。

ユルの左右様もその一例です。

さらに物語には、アサの「解」とユルに関係する「封」が存在します。

コミックス第3巻のスクウェア・エニックス公式紹介では、アサが一度死んだこととともに、「封」と「解」の力の秘密が主要な謎として明示されています。スクウェア・エニックス マガジン

ここで重要なのは、「錬金術」と「解・封」が名前だけ違う同一ルールではないことです。

錬金術は、作品世界の多くの人間が学び、技術として使用できる体系です。

対して「解」と「封」は、ユルとアサという特別な双子の存在そのものと深く結びついています。

また、『黄泉のツガイ』では能力だけでなく「ツガイと主の関係」が重要です。

ユルと左右様は戦闘で協力しますが、左右様は便利な術式として呼び出されるだけの存在ではありません。

TVアニメ第5話の公式あらすじでも、ユルと左右様の「独特な信頼関係と連携」が戦いを切り抜ける要素として明示されています。TVアニメ「黄泉のツガイ」公式サイト

この点でも、能力の思想は異なります。

『ハガレン』では「人間はどこまで世界の法則へ介入してよいのか」が大きな問題になります。

『黄泉のツガイ』では、それに加えて「他者と契約し、命令し、共に生きるとはどういうことか」という関係性の問題が強く現れています。

そして私は、校正者として「解」「封」という一字の選択にも注目しています。

「解」は単なる「破壊」とは違います。

結び目を解く、拘束を解く、誤解を解くというように、日本語の「解」には、絡み合っていたものをほどく感覚があります。

「封」も単なる攻撃ではなく、閉じる、隔てる、外へ出さないという意味を持ちます。

もちろん、これだけで作者の意図を断定することはできません。

ただし作品内でユルとアサが、本人たちより前から存在する因縁や期待に縛られていることを踏まえると、私は「解」と「封」を戦闘能力であると同時に、彼らが何を終わらせ、何を残すかを示す言葉として読む余地があると考えています。

ここは『ハガレン』の錬金術とは明確に異なる本作独自の設計です。

※画像はAIによるイメージ

なぜ「ハガレンっぽい」のにパクリではない?荒川弘作品として考察

ここからは、公式情報と作品内容を踏まえた筆者の考察です。

私は、『黄泉のツガイ』と『鋼の錬金術師』の関係を考えるなら、「設定が似ているか」よりも同じ作者が繰り返し描く関心がどこにあるかを見るほうが理解しやすいと思っています。

小説家や漫画家が、作品を変えながら同じテーマを扱うことは珍しくありません。

家族、責任、力、共同体、身体、生と死。

荒川先生の作品には、こうした題材が姿を変えて現れます。

そのため、『黄泉のツガイ』にも『ハガレン』を思わせる瞬間があること自体は自然です。

しかし、それをすぐ「過去作のコピー」と判断すると、本作で変化した部分を見落としてしまいます。

私が特に注目しているのは、責任の発生源が個人から共同体へ移っていることです。

『鋼の錬金術師』では、エドとアルの旅の原点には二人自身の行動があります。

だからこそ、物語では「取り戻す」「償う」「選び直す」という方向が強くなります。

『黄泉のツガイ』のユルとアサは違います。

彼らが特別な双子であることも、東村の事情も、「解」と「封」に価値を見いだす人々がいることも、兄妹自身が作った状況ではありません。

それでも結果だけは彼らの人生へ押し寄せてきます。

これは大人になって読み返すほど重い構図だと感じます。

私たちは現実でも、生まれた家庭、土地、制度、世代間の問題など、自分が作ったわけではない条件の中から人生を始めます。

自分が原因ではない問題だからといって、影響を受けずに済むわけではありません。

しかし同時に、「昔からそう決まっているから」という理由だけで、自分の人生まで差し出さなければならないわけでもない。

『黄泉のツガイ』のユルは、まさにその境目に立たされています。

TVアニメ第8話では、ユルが自分の命を狙い、力を利用しようとする者たちの存在を認識したうえで、自分の意思を示す展開が描かれます。TVアニメ「黄泉のツガイ」公式サイト

ここには、「運命を知らなかった少年」が「運命を知ったうえで、従うかどうかを自分で決める少年」へ変わっていく流れがあります。

私は、この変化こそ『黄泉のツガイ』の中心にあるものだと考えています。

同じ作者が家族と巨大な力を描いていても、『ハガレン』では「自分の選択の結果」が出発点でした。

『黄泉のツガイ』では「他人が自分に割り当てた役割」が出発点になっています。

言い換えれば、前者が責任を引き受ける物語なら、後者には責任を押しつけられる構造そのものを問い直す物語という側面があります。

この差を見れば、「似ているからパクリ」という単純な結論にはなりません。

むしろ同じ作者だからこそ、似た材料を使ったときに「今回は何を変えたのか」が鮮明になります。

『ハガレン』経験者ほど「同じ」と「違う」を分けて楽しめる

『鋼の錬金術師』を知っている読者は、『黄泉のツガイ』を読むときに既視感を覚える場面があるでしょう。

家族から始まる。

強い力には危険がある。

大人たちは何かを隠している。

組織の中にも善人と危険人物が混在している。

主人公は、知らなかった世界の仕組みへ巻き込まれていく。

ここまでは確かに近い。

しかし、その先で用意されている問いが違います。

『ハガレン』を「どうすれば失ったものを取り戻せるか」という問いから始まる作品とするなら、『黄泉のツガイ』は「そもそも自分の人生を誰が決めているのか」という問いから読むことができます。

この違いに気づくと、『ハガレン』経験者であることは比較の邪魔ではなく、むしろ本作の独自性を見つける手がかりになります。


今後の『黄泉のツガイ』で注目したいのは「強さ」より選択

2026年8月30日時点で、『黄泉のツガイ』はまだ物語の結末を迎えていません。

したがって、「解」と「封」が最終的にどうなるのか、ユルとアサがどのような答えを出すのかを断定することはできません。

コミックス第13巻では、ヒカルと御陵の対峙、イワンとの市街地戦、影森本家を巡る事態など、複数の勢力が激しく動く段階まで物語が進んでいます。スクウェア・エニックス マガジン

ただ、ここまでの構造から見ると、私は最終的な焦点が単純な「誰が最強か」だけにはならないと考えています。

ユルやアサには強い力があります。

けれども本作で繰り返し問題になっているのは、力そのもの以上に、その力を誰が利用しようとするのか、本人はどう考えるのかという点です。

ツガイも同じです。

強力なツガイを持てば、それだけで正しい人間になるわけではありません。

命令できる立場だからといって、相手を道具として扱ってよいとも描かれていません。

その意味で、今後もっとも注目したいのは「ユルが封を得るか」だけではないでしょう。

ユルとアサが、自分たちに与えられた「運命の双子」という意味を、そのまま受け入れるのか。

それとも、自分たちなりに定義し直すのか。

私はそこに、本作の結末へ続く重要な線があると見ています。

『鋼の錬金術師』と同じ作者だから、同じような終わり方になるとは限りません。

むしろ同じ作者だからこそ、似た問いに別の答えを返す可能性があります。

「家族を守る」とは何か。

「力を持つ」とは何か。

そして、自分の人生を決める権利は誰にあるのか。

この三つをどのようにつなぐのかが、『黄泉のツガイ』を最後まで追う大きな楽しみになるのではないでしょうか。


まとめ|『黄泉のツガイ』はハガレンのパクリではなく、同じ作家性から生まれた別の物語

『黄泉のツガイ』と『鋼の錬金術師』には、家族を起点に物語が始まること、主人公が巨大な力や組織の秘密へ巻き込まれること、力の使い方に倫理的な問いが伴うことなど、確かな共通点があります。

さらに『黄泉のツガイ』の出版社やTVアニメ公式も、荒川弘先生の代表作として『鋼の錬金術師』を積極的に掲げています。そのため、両作品を比較したくなること自体は極めて自然です。スクウェア・エニックス マガジン+1

しかし、似ていることと、パクリであることは同義ではありません。

『ハガレン』は、エドとアル自身が行った人体錬成とその代償から物語が始まります。

『黄泉のツガイ』は、ユルとアサが選んでいない「夜と昼を別つ双子」という立場や、東村をはじめとする周囲の事情から物語が始まります。

能力体系も、錬金術と、ツガイ・解・封では別物です。

主人公が最初に解決したい問題も、その問題が生まれた原因も異なります。

筆者として特に重要だと感じるのは、『ハガレン』が「自分がしてしまったこととどう向き合うか」を強く描いたのに対し、『黄泉のツガイ』では「他者に決められた運命を、どこまで自分の意思で選び直せるか」という問題が前面に出ていることです。

荒川弘先生らしい人物造形や家族観があるから、似て見える。

けれども、同じ材料から作られている物語ではない。

現時点の作品内容を丁寧に比較すると、私は『黄泉のツガイ』を『ハガレン』のパクリではなく、同じ作家が長く描いてきたテーマを、異なる主人公と世界の仕組みで問い直している作品と評価するのが最も自然だと考えます。


よくある質問

『黄泉のツガイ』は『鋼の錬金術師』のパクリですか?

現時点で公開されている物語・設定を比較する限り、パクリと断定できる根拠はありません。

家族や巨大な力などの共通テーマはありますが、ツガイ・解・封と錬金術では能力体系が異なり、主人公が問題を背負う理由も大きく違います。

『黄泉のツガイ』がハガレンに似ていると感じるのはなぜですか?

同じ荒川弘先生の作品で、家族の問題から大きな陰謀へ物語を広げる構成や、力と倫理を結びつける人物描写に共通性があるためです。

また公式側も「『鋼の錬金術師』の荒川弘」と積極的に紹介しているため、作品を知る入口から『ハガレン』を連想しやすくなっています。TVアニメ「黄泉のツガイ」公式サイト+1

『黄泉のツガイ』の「解」と「封」はハガレンの錬金術と同じですか?

同じではありません。

錬金術は『鋼の錬金術師』世界における技術体系ですが、『黄泉のツガイ』の「解」と「封」はユルとアサという「夜と昼を別つ双子」と深く結びついた特殊な力として扱われています。『黄泉のツガイ』第3巻でも、「封」と「解」の秘密そのものが物語の大きな謎として紹介されています。スクウェア・エニックス マガジン

筆者:篠原千鶴(アニメ愛好家・フリーランス校正者)