パンどろぼうの「まずい顔」は、第1作で盗んだパンを食べ、期待した味との違いに驚く場面です。柴田ケイコさんは主人公の気持ちになって表情を描き、この「まずい」という展開を、主人公がパン屋へ戻る理由にもしました。
あの顔を探すときは、パンを盗む場面だけでなく、食べる直前から店へ戻るまでを続けて追うと、笑いがどのように物語へつながるか分かります。この記事では、作者への取材記事と、そこに掲載された誌面画像で確認できる内容をもとに、制作秘話と表情の働きを整理します。
パンどろぼうの「まずい顔」は第1作のどの場面?
「まずい顔」が現れるのは、柴田ケイコさん作『パンどろぼう』の第1作で、主人公が「せかいいちおいしい もりのパンや」から持ち出したパンを食べた直後です。柴田さんは主人公の気持ちになり、見慣れない「まずい顔」を目指して描いたと話しています。その後、主人公はパン屋へ戻り、物語はパン作りへ進みます。
パンどろぼうは、おいしいパンを探し求める主人公です。「世界一おいしい」とうたう店を見つければ、そのパンに期待するのは自然なこと。読者も、パンを手に入れた主人公と一緒に、食べる瞬間を待つでしょう。
ところが、食べてみると期待は外れます。日テレNEWS NNNが2022年11月9日に掲載した柴田さんへのインタビューでは、この展開と、主人公のげっそりとした表情が第1作の見せ場として紹介されています。同記事には、食べる前後の誌面画像も掲載されています。
したがって、「まずい顔」はパンを盗んで逃げている最中の顔ではありません。欲しかったパンをようやく口にした、その結果が分かったときの顔です。場面を取り違えないためには、主人公がパンを手に入れた後、食べようとするくだりを探してください。
この順序には意味があります。主人公の期待を知らずに顔だけを見ると、変わった表情として笑えるかもしれません。期待の高まりを知ってから見ると、手に入れた喜びまで一瞬でしぼんだことが伝わります。
「まずい」という反応は、パンの味を伝えると同時に、主人公の次の行動を生む知らせでもあります。笑いの中心にある顔が、そのまま物語の転機になっているのです。
柴田ケイコさんは、なぜあの「まずい顔」を描いた?
柴田ケイコさんが重視したのは、主人公自身がまずさを感じているような表情です。2022年11月9日の日テレNEWS NNNのインタビューで、柴田さんは、登場人物の気持ちになり、まずさを声に出しながら描くこともあったと説明しています。ありふれた顔より、読者が初めて見るような顔を描きたかったとも語りました。
これは、目立つ顔を作ることだけが目的だった、という話ではありません。まず主人公の感覚に入り、その感覚を絵としてどう見せるかを考えた、という制作の順序がうかがえます。
主人公はおいしいパンを求めて行動してきました。だからこそ、味が期待に反した瞬間は、単なる試食の失敗では済みません。待ち望んだ気持ちが大きいほど、落胆も大きくなる。その振れ幅が顔に現れていると、私は読みます。
日テレNEWS NNNに掲載された「まずい」の誌面画像では、パンの形をした主人公の外側よりも、目や口を含む顔の内側に注意が向きます。同記事が「げっそりとした表情」と説明するように、食べる前の勢いが消えたことを、長い味の説明なしに受け取れる顔です。ここでの描写は、その掲載画像で確認できる範囲について述べています。
表情を場面ごとに変える考え方は、この一枚だけに限りません。2021年3月19日に「ぱんてな」が掲載した柴田さんへのインタビューでも、隠れるとき、盗んで逃げるとき、好きなパンを前にするときで、主人公の目や顔つきを描き分ける意識が語られています。
同じ姿の主人公でも、何をしているかによって顔の意味が変わるわけです。パンを狙うときには周囲を気にかけ、手にしたときには喜び、食べた後には予想外の味を受け止める。「まずい顔」は、その感情の流れの中に置かれています。
私は、この連続性があの顔の強さだと感じます。唐突でおかしいのに、主人公の気持ちから外れてはいない。読者が笑った後で「それほど期待していたのか」と思い返せるのは、前の表情や行動が下地になっているからでしょう。
作者が語ったのは、主人公の気持ちになって描き、見たことのない顔を目指したという制作上の考えです。前後の表情が落胆を支えているという説明は、取材記事に掲載された画像と物語の流れを踏まえた筆者の解釈です。

パンがまずかった後、パンどろぼうはどうなる?
パンどろぼうは、まずいパンを食べた後、パン屋へ戻ります。味への不満を伝えようとしますが、店の人からは、先にパンを盗んだことを指摘されます。そのやり取りを経て、主人公はパンを受け取るだけの立場から、店の人とパンを作る側へ移っていきます。
この展開は、作者が後から顔に意味を付け足したものではありません。「ぱんてな」の2021年3月19日のインタビューで柴田さんは、普通なら盗んだパンはおいしいと予想するところを裏切りたかった、と説明しています。パンがまずければ主人公は店へ戻るはずだと考えたことが、その後の筋につながりました。
味への不満と、盗んだという事実が、店で向き合うことになるのです。主人公には「おいしくなかった」と言いたい理由があります。一方、店の人には、無断で持ち出されたことを指摘する理由があります。二人が同じ出来事を別の立場から見ているため、話が前へ進みます。
ここで「まずい顔」は、短い笑いを生むだけの挿話ではなくなります。あの一口がなければ、主人公は店へ戻らず、店の人と話す機会も生まれません。予想外の味が、予想外の出会いを作る構造です。
私は、「欲しい」と「作る」の違いも大切だと思います。主人公は初めからパンが好きですが、好きな気持ちを向ける先は、最初は出来上がったパンです。店へ戻った後には、パンを生み出す仕事にも目が向いていきます。
これは、笑える失敗に無理に教訓を当てはめる読み方ではありません。実際の筋として、主人公が味への不満から店へ戻り、パン作りに関わる。その変化を追うと、顔の面白さと物語の運びを一緒に味わえます。
柴田さんは「ぱんてな」の取材で、登場人物の設定と筋を考えるのに約1年、画面構成の下書きにさらに約1年かかったとも振り返っています。その中で「食べたパンがまずい」という展開が決まったとき、物語にしっくり合う感覚があったそうです。
完成した絵本では、顔を見る時間はほんの一瞬です。しかし制作の経緯を知ると、その一瞬が、主人公をどこへ戻し、誰と会わせるかという筋の検討と結び付いていることが分かります。表情の大胆さを支えているのは、出来事の順序でもあるのでしょう。
食べる前後の描写は、なぜ驚きを大きくする?
驚きが大きくなるのは、食べる前においしさを期待させ、その答えを短い言葉と顔で示すからです。日テレNEWS NNNが掲載した誌面画像と記事では、主人公がパンを楽しみにして食べようとする流れに続き、「まずい」という結果が紹介されています。
期待を作る時間に比べ、結果を告げる言葉は短い。この長さの違いも、私は印象を強めていると思います。味を細かく説明する前に顔を見せるから、読者は主人公に起きたことを、理屈より先に受け取れます。
もう一つ注目したいのは、見る先の切り替わりです。食べる前は、主人公と読者の関心がパンへ向かいます。食べた後は、パンがどう見えるか以上に、その味を受け止めた主人公の顔が気になる。期待の対象だったパンから、期待が外れた人の反応へ、関心が移るのです。
この読みは、掲載画像で確認できる「食べる前の期待」と「食べた後の表情」、そして記事が示す場面の順序に基づきます。作者が読者の視線をこのように動かす意図を明言した、という意味ではありません。絵を続けて見たときに起こる変化として、筆者が考えたものです。
絵本では、次の場面を見るためにページをめくります。期待する場面で少し手を止めれば、読む人はパンの味を想像できます。すぐにめくれば、主人公と一緒に突然の結果へ出会うように感じられるでしょう。
読み聞かせでも、間の取り方によって驚きの質が変わりそうです。ただし、特定の読み方が作者の指定した正解というわけではありません。期待から結果へ移る速さを読む人が体験できることが、紙の絵本ならではの面白さだと私は考えます。
顔の画像を先に知ってから第1作を読む場合は、驚き方が少し違うかもしれません。結果を知っていても、主人公がどれほど楽しみにしているか、どうして店へ戻ることになるのかを追えば、顔が置かれた位置を確かめられます。
この場面を見直す際は、顔の細かな形だけを探す必要はありません。食べる直前に何へ気持ちが向いているか、食べた直後に何へ注意が向くかを比べる。それだけで、一枚の表情が前後の場面に支えられていることが見えてきます。

大人が「まずい顔」を読み返すと、何が見える?――筆者の考察
私は「まずい顔」を、パンどろぼうだけでなく、読者自身の予想も外れる場面として読みます。店の言葉を知り、パンを楽しみにする主人公を見れば、こちらもおいしいはずだと思いやすい。その予想が外れたとき、自分も主人公と同じ期待を抱いていたことに気づきます。
だから、あの顔は主人公を遠くから笑うためだけのものではないのでしょう。顔を見て笑いながら、「私もそう思っていた」と、少し主人公の側へ近づける。個人的には、その親しみが、この場面を繰り返し見たくなる理由の一つだと感じます。
先に触れた柴田さんの制作時の言葉も、この読みを支えます。主人公の気持ちになって顔を描いたからこそ、表情は奇抜なだけで終わらず、期待が外れた感覚を伝える。作者が語った制作方法と、読者が受け取る驚きの間に、筋の通ったつながりがあります。
さらに、物語が顔の後で止まらないことも重要です。まずかったから店へ戻る。戻ったから、盗んだことを指摘される。そして、パン作りへ関わる。主人公は失望を口にするだけではなく、その先で人と向き合い、行動を変えていきます。
ここから、私は二種類の「おいしさの探し方」が描かれているように思います。一つは、おいしいものを見つけて手に入れようとする探し方。もう一つは、どう作られるのかを知り、自分も関わっていく探し方です。後者へ進むきっかけが「まずい」だったところに、この物語のユーモアがあります。
もっとも、作者がこの対比を教訓として語ったわけではありません。柴田さんが取材で説明したのは、読者の予想を裏切ることと、まずいパンを主人公が店へ戻る理由にすることです。二つの探し方という整理は、その展開から私が受け取った読みとして示しておきます。
絵本を読み返すなら、笑ったところで少しだけ前後へ目を向けてみてください。食べる前には何を信じていたのか。食べた後には、何を言おうとして店へ戻ったのか。そこをつなぐと、「まずい顔」が一枚の有名な顔であると同時に、主人公の行き先を変える場面だと分かります。
『パンどろぼう』の「まずい顔」は、第1作で盗んだパンを食べた直後に登場します。柴田ケイコさんは主人公の気持ちから表情を描き、「まずい」という予想外の味を、パン屋へ戻る展開につなげました。顔の面白さを味わった後は、食べる前の期待と、店へ戻ってからの行動まで追うと、物語の組み立てがいっそう明瞭になります。
よくある質問
「まずい顔」は続編ではなく第1作に出てきますか?
はい。柴田ケイコさん作『パンどろぼう』の第1作で、「せかいいちおいしい もりのパンや」から持ち出したパンを食べる場面に登場します。
柴田ケイコさんは「まずい顔」を描く際、何を意識しましたか?
主人公の気持ちになって描くことと、見慣れた表情ではない「まずい顔」にすることを意識したと、2022年の日テレNEWS NNNのインタビューで語っています。
パンどろぼうが店へ戻る展開は、作者が考えた筋ですか?
はい。柴田さんは「ぱんてな」の取材で、パンがまずければ主人公はパン屋へ戻るだろうと考え、それが後の物語につながったと説明しています。
確認した資料と描写の範囲
日テレNEWS NNN「『まずい』衝撃の表情に読者もビックリ…絵本『パンどろぼう』作家が語る制作秘話」(2022年11月9日掲載)。作者の表情に関する発言と、記事に掲載された食べる前後の誌面画像を確認しました。
ぱんてな「絵本作家 柴田ケイコさんインタビュー。20万部突破の大ヒット絵本『パンどろぼう』ができるまで」(2021年3月19日掲載)。「まずい」という筋の発想、制作に要した期間、場面ごとの表情に関する作者の発言を確認しました。
本記事の絵の細部についての記述は、上記取材記事に掲載された誌面画像で確認できる範囲に限っています。絵本全ページを実際に手元で確認した体験としては記していません。
篠原千鶴

